正式名称は、ハイチ語Repiblik d Ayiti(レピブリク・ダイティ)、標準フランス語République d'Haïti (レピュブリク・ダイティ)。通称は AyitiHaïti(アイティ)。

公式のスペイン語表記はRepública de Haití。通称、Haití。

公式の英語表記はRepublic of Haiti(リパブリク オヴ ヘイティ)。通称、Haiti(ヘイティ)。

日本語の表記は、ハイチ共和国[13]。通称はハイチ漢字表記海地。なお、「ハイチ」とは“Haiti”の訓令式ローマ字読みであり、現地では通用しない。

「ハイチ(アイティ)」とは、先住民族の一部族であるアラワク系タイノ人の言葉で「山ばかりの土地」を意味する言葉に由来し、独立に際してそれまでのフランス語名「サン=ドマング」から改名された。

この島にはもともと、南アメリカを起源とする先住民族タイノ族が住んでいた[14]。紀元前4000年から1000年までの間にアメリカ先住民のアラワク人(タイノ人)が南アメリカ大陸のギアナ地方から移住してきた。タイノ人は島をアイティ(Haiti)、ボイオ(Bohio)、キスケージャ(Quesquiya)と呼び、島はおのおののカシーケ(酋長)が指導する五つの部族集団に分かれていた。ヨーロッパ人の征服によりアラワク人は消え去った。征服時にいたインディアンの数は、イスパニョーラ島の全てを合わせるとおよそ100万人から300万人ほどだろうと推測されている。

イスパニョーラ総督トゥーサン・ルーヴェルチュール。優れた戦略でイスパニョーラ島を統一し、自治憲法を制定したが、激怒したナポレオン軍の侵攻とだまし討ちによって捕らえられ、死亡した。
ハイチ帝国の皇帝ジャン=ジャック・デサリーヌ。ルーヴェルチュールの死後フランス軍を打ち破り、世界初の黒人による共和国を建国した

1789年からフランス本国では革命が勃発し、サン=ドマングの黒人奴隷とムラート混血自由黒人)たちはその報を受けたヴードゥーの司祭デュティ・ブークマンフランス語版に率いられ、1791年に蜂起した。

トゥーサン・ルーヴェルチュールジャン=ジャック・デサリーヌアンリ・クリストフらに率いられた黒人反乱軍は白人の地主を処刑した後、フランスに宣戦布告したイギリスとスペインが、この地を占領するため派遣した軍を撃退し、サン=ドマング全土を掌握した。ルーヴェルチュールは1801年に自らを終身総督とするサン=ドマングの自治憲法を公布し、優れた戦略と現実的な政策により戦乱によって疲弊したハイチを立て直そうとしたが、奴隷制の復活を掲げたナポレオンが本国から派遣したシャルル・ルクレールの軍によって1802年に反乱は鎮圧され、指導者ルーヴェルチュールは逮捕されフランスで獄死した。

ところが、新たな指導者デサリーヌの下で再蜂起した反乱軍は、イギリスの支援を受けて、1803年にフランス軍をサン=ドマング領内から駆逐した。そして、1804年1月1日に独立を宣言し、ハイチ革命が成功した。これは、ラテンアメリカとカリブ海地域で最初の独立国家であり、アメリカ大陸で2番目の共和国であり、奴隷制度を廃止した最初の国であり、奴隷の反乱が成功して成立した歴史上唯一の国家である[19] [20]。初代大統領のアレクサンドル・ペション以外、ハイチの初代指導者はすべて元奴隷であった[21]

デサリーヌは国名を先住民族タイノ人由来の名であったハイチ(アイチ)に変更し、ナポレオンに倣って皇帝として即位し(ハイチ帝国)、数世紀にわたる蛮行への報復と、黒人の国であるハイチが再び奴隷制に戻ることへの脅威から、残った白人を処刑し、皇帝はハイチを黒人国家であると宣言し、白人が資産や土地を所有することを禁じた。デサリーヌは1805年に憲法を制定したが、北部のアンリ・クリストフと南部のアレクサンドル・ペションらの勢力に圧迫され、1806年に暗殺された。デサリーヌはハイチ建国の父として後の世まで敬愛されている。

1870年代末以降、まだ国家分裂や反乱は続いたが、ハイチは近代化への道を歩み始め砂糖貿易などで経済が発展し始めた。しかしフランスへの賠償金は完済せず、近代化のための借金もふくらみハイチの財政を圧迫した。またドイツによる干渉とハイチ占領・植民地化の試みも繰り返されたため、カリブを裏庭とみなすアメリカの警戒を呼び、1915年、アメリカは債務返済を口実に海兵隊を上陸させハイチを占領、シャルルマーニュ・ペラルトフランス語版将軍などが海兵隊と戦ったが敗れ、数十万人のハイチ人がキューバやドミニカ共和国に亡命した。アメリカ軍は1934年まで軍政を続け、この間、合衆国をモデルにした憲法の導入、分裂を繰り返さないための権力と産業の首都への集中、軍隊の訓練などを行ったが、これは現在に続く地方の衰退や、後に軍事独裁を敷く軍部の強化といった負の側面も残した。またハイチの対外財政は1947年までアメリカが管理し続けた。

1934年には世界恐慌の影響や、ニカラグアでのサンディーノ軍への苦戦などもあって、ルーズベルト合衆国大統領の善隣外交政策により、ハイチからも海兵隊が撤退することになった。アメリカ占領以降、数人のムラートの大統領が共和制の下で交代したが経済苦境は続き、1946年にはクーデターが起こりデュマルセ・エスティメフランス語版が久々の黒人大統領となった。社会保障や労働政策の改善、多数派黒人の政治的自由の拡大など様々な進歩的な改革を行おうとした。また国際協力の重要性、観光の振興、ハイチ文化の宣揚などを目的に、1949年から1950年にかけて、ポルトープランス万国博覧会を巨費を投じて開催している。

黒人側に立った改革がムラートと黒人との対立など国内混乱を招き、万博の巨額の費用はスキャンダルとなった。1950年にエスティメが憲法を改正して再選を図ろうとしたため、ムラート層や黒人エリートらがクーデターを起こし、黒人エリート軍人のポール・マグロワールによる軍事政権が誕生した。彼の時代、経済はコーヒーやアメリカからの観光などの景気でいっとき活況を呈したが、またも再選を図ろうとしたことをきっかけに全土でゼネラル・ストライキが起こり、混乱する中1956年末に彼はクーデターで打倒された。

2010年にマグニチュード7.0の地震が発生し、ポルトープランスを中心に甚大な被害が生じた。更に追い打ちをかけるようにコレラが大流行し、多数の死者が出た。それに関し、PKOを派遣した国連がコレラ菌を持ち込んだとして非難された[25]。地震を機にMINUSTAHの陣容は増強された。その後、2017年10月15日に活動を終了した。

2010年11月にはプレヴァルの後任を決める大統領選挙が実施されたが、選挙にまつわる不正疑惑から暴動が発生、翌年3月にようやく決選投票が実施された。決選投票の結果、ポピュラー歌手出身のミシェル・マテリが大統領に選出された。民選大統領の後継を同じく民選大統領が務めるのは、ハイチの歴史上初めてのことである[26]

2017年10月15日に国際連合ハイチ安定化ミッションを終了し、アリスティド追放以来駐留していた国連平和維持軍が撤退。これにより治安が再び悪化。首都ポルトープランスでもギャングが徘徊し、民家に押し入って乱暴し、たまりかねた市民が区役所の中庭などに避難する事態となった。ギャングたちは市内で我が物顔に行動しており、公式には否定されているものの、政権および反政権の政治家との癒着が噂されている。

2020年にはギャングによる誘拐事件が日常茶飯事となり、国連の発表では前年比3倍に当たる234件が発生。しかしポルトープランスに拠点を置く人権保護団体の見解によれば、実数は796件に及ぶ[27]

2021年7月7日、ジョブネル・モイーズ大統領が自宅で正体不明の奇襲部隊に暗殺された(ジョブネル・モイーズ暗殺事件[28][29]。全権を掌握したジョゼフ暫定首相が同日、声明で明らかにした[30]。2022年現在、首都ポルトープランスでは市内の6割がギャングの支配下に置かれており、レイプや殺人など暴力によって住民を支配している。治安の悪化のために、犯人が処罰されることはほとんどなく、病院は機能しない状態となった[31]

2023年10月、国際連合安全保障理事会にてハイチに多国籍軍の派遣が決議。多国籍軍(ほぼ全てケニアから派遣された警察官)がハイチ国内に展開した。派遣期間は、当初1年の予定であったが次年度以降も延長[32]。治安状態の悪化に伴い増派も行われた[33]

2024年、刑務所がギャングに襲撃され、受刑者約4000人が脱獄をした。事態を受け、政府が3月3日、非常事態を宣言した[34]。無政府状態となる中で外遊中のアリエル・アンリ首相は辞任を余儀なくされ、経済・財務相だったミシェル=パトリック・ボワヴェールが暫定首相に就任[35]。同年4月27日、新政権発足まで国を統治する「暫定大統領会議」が発足し、同月30日に大統領を決める投票を行うと発表した。また、暫定政府の任期は2026年2月までとし、それまでに選挙が行われる道筋が示された[36]

ギャングが横行する中で、国内の治安が極端に悪化。地続きの隣国であるドミニカ共和国へ移動する国民が増えた。2024年、ドミニカ共和国側は、過剰な移民を問題視して同年中に27万6000人のハイチ人を強制送還した[37]

2025年もギャングの勢力は拡大する一方であり、同年4月22日には、国連の最高代表はハイチが「完全な混乱」の「引き返せない地点」の瀬戸際にあると警告した[38]

2026年現在は首都のポルトープランスは9割がギャングに支配されている。

ポルトープランスにあった大統領宮殿(2010年の地震で倒壊)。

元首たる大統領は、全国民の選挙によって選ばれ、任期は5年。首相は、大統領の指名によるが、議会の承認が必要である。内閣の閣僚は、首相が大統領と協議して指名する。

議会は、両院制(二院制)であり、上院も下院も議員は、国民の選挙によって選出される。上院は30議席、任期6年で、2年ごとに3分の1ずつ改選。下院は119議席で、任期は4年。

ハイチの政治は独立以来、慢性的に混乱が続いている。FFP(平和基金会)による2020年時点の失敗国家ランキング(脆弱状態グローバルデータ)ではワースト13位であり、これは北朝鮮(ワースト30位)より上位である[39]2010年の大地震では大統領府、財務省、外務省などの政府官庁が倒壊し、その後の復興も進まず、治安悪化でギャングが支配力を増したため、政府機能は麻痺状態にある。

2000年11月26日に執行された大統領選挙では、元大統領のジャン=ベルトラン・アリスティドが92%の票を獲得し、2001年2月7日に再任した。2004年4月のアリスティド追放後、再三延期された後に執行された2006年2月の大統領選挙では、63歳の元大統領ルネ・ガルシア・プレヴァルが再選された。2015年10月の大統領選挙では、不正選挙に対する抗議デモにより2度延期され、2016年2月7日にプレヴァルの後任のミシェル・マテリが任期終了で退任。エヴァンス・ポール首相の大統領代行、2月14日就任のジョスレルム・プリベール上院議長の暫定大統領を経て、2017年2月に48歳のジョブネル・モイーズが大統領に就任したが、2021年7月7日に暗殺された。

モイーズ暗殺以降も政情不安が続き、選挙を行えないため、正式な大統領を選出できず、アリエル・アンリ首相代行が大統領代行も兼任する事態となっている。選挙で選ばれていないアンリが権力を握り続けることには国民からの疑問の声も出たが、治安回復が最重要として選挙の延期を繰り返した。政府も議会も機能していないため、2024年4月25日まで実質的な無政府状態に陥った。

議会選挙も2019年に実施予定だったが、混乱により実施できず、2020年1月に下院議員全員と上院議員20名が任期切れで失職。2023年1月には残る上院議員10名も任期切れで失職となり、2025年現在は両院の全議席が空席となっている[40]

アンリ首相代行は、2024年1月下旬にガイアナケニアを訪問し、国内の暴力に対処するための国際治安部隊の派遣について合意したものの、首都ポルトープランスの8割を支配するギャング団のリーダーから帰国すれば殺害すると脅迫されたため、帰国できない状態が続き[41]、3月に滞在先のケニアで辞任を表明する事態となった[42]

2024年4月7日、ハイチの政治指導者が協定に調印し、投票権を持つメンバー7名と持たないオブザーバー2名の合計9名で構成される暫定大統領評議会の設立で合意した。評議会は2026年2月7日まで有効で、それまでのアンリからの権限移譲の承認が焦点となっている[43]

かつて7000人以上の兵力を擁したハイチ軍は1995年のアリスティド大統領復帰後に一度解体され、2015年末に規模を縮小して復活した(陸軍500人と予備兵50人)[13]。他に小規模な国家警察沿岸警備隊がある。

ハイチの地図。
観測用衛星で捉えたハイチの地形図。

ハイチの地勢は、主として岩の多い山々からなっており、沿岸部にはわずかながら平野や谷間を流れる川がある。中央部から東部は、大きく隆起した台地になっている。最高峰はラ・セル山(2680m)で、ゴナーブ島トルチュ島ヴァシュ島グランド・チェミット島などの島々も含む。最も大きな都市は、200万人が住む首都のポルトープランスで、2番目は60万人のカパイシャンである。

北部地域はマッシフ・デュ・ノール(北部山地)とプレイヌ・デュ・ノール(北部平野)から成る。マッシフ・デュ・ノールはドミニカ共和国の中央山脈の延伸である。ハイチの東部国境の始まりとなり、ギュヤムー川の北と、北部半島を通して北東に延長している。プレイヌ・デュ・ノールの低地はマッシフ・デュ・ノールと北大西洋の間のドミニカ共和国との北部国境に横たわる。中央地域は二つの平野と二つの山脈からなる。プラトー・セントラル(中央高原)はマッシフ・デュ・ノールの南のギュヤムー川の両側に沿って南東から北西に延伸している。プラトー・セントラルの南東はノワール山地となり、北西部はマッシフ・デュ・ノールに溶け込んでいる。

南部はプレイヌ・デュ・クル=ド=サク(南東部)と南部半島(チビュロン半島として知られる)の山々からなる。プレイヌ・デュ・クル=ド=サクは自然沈下によりトルー・カイマンやハイチ最大の湖であるラク・アズエイといった塩湖を抱えている。南部山脈はドミニカ共和国最南端のシエラ・デ・バオルコに始まり、ハイチのセル山地とオット山地になりハイチ南部の細長い半島を形成する。この山地にあるラ・セル山がハイチの最高峰(2,680m)になる。

カパイシャンスラム

国際通貨基金(IMF)の推計によると、2013年のハイチの国内総生産(GDP)は84億ドルである。一人当たりのGDPは820ドルであり、これは世界平均の10%未満、アメリカ州の全国家の中で最も低い数値である[46]

植民地時代は世界で最も豊かで生産的な地域とも呼ばれていたが[47]、現在では西半球でも最も貧しい国と言われており、国民の80%は劣悪な貧困状態に置かれている。また国民の70%近くが、自給のための小規模な農場に依存しており、経済活動人口の3分の2が農業に従事しているが、規模が零細である上に灌漑設備などの農業インフラが不十分で天水に依存した伝統的農法に頼っており、過耕作による土地の荒廃なども影響して、生産性は極めて低く、食料自給率は45%、の自給率は30%未満である。そのため、恒常的に食糧不足で、食料需要の大半を海外からの輸入と援助に大きく依存しているが、人口の約半数に相当する380万人は慢性的に栄養失調状態にある。

フランソワ・デュヴァリエによる独裁時代は、国際的にも孤立していたため、食糧の自給は最重要課題であり、政府の手厚い保護政策によって、食糧自給率は80%、米の自給率は100%を誇ったが、民主化後はアメリカの米が多量にハイチにも入るようになり、米価は暴落。安価で安定的な食事が得られるようになった一方で、量でも質でも太刀打ち出来ないハイチの農家は次々耕作を放棄し、都市へ仕事を求めるようになり、食料自給率は急落した。仕事にあぶれた農民が都市部へと流れたことで失業率は急増し、皮肉にもさらなる貧富の格差を生み出すことになった。

こうした中、2007年3月、9月の豪雨、8月、10月、12月の熱帯性暴風雨などの自然災害により、全国で約4万世帯が被災し、同国穀倉地帯も甚大な被害を受けたため、国連による緊急アピールが複数回出された。自然災害による食糧不足のため国内生産物の価格が上昇したが、ほぼ同時期に穀物の国際価格も高騰した。こうした食糧価格の高騰による影響は市民の抗議行動、暴動へとエスカレートし、首相が解任される事態までに発展した。加えて、2010年1月に発生した大地震も、ただでさえ貧弱な経済に深刻な打撃を与えることになった。

1996年に就任したプレヴァル大統領以来、若干の雇用が創出されたが、効果は上がっていない。国際的な支援を十分に得られないでいるため、必要とする開発支援を確保できない状態にある。

1970年代以降は、ギャングを中心としたインフォーマルセクターがGDPの50%以上を占めている。安価な労働力を背景として縫製産業の発展が一部に見られるが、政情不安や自然災害、ギャングの暗躍により経済発展が阻害されている[40]

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ハイチの交通事情は非常に脆弱である。交通機関は自動車やバイクが主であり、鉄道は走っていない。航空機は国内線はあるが、フライト・スケジュールは定まっていない。また道路の交通マナーがひどく、信号が設置されているところも少ないので、渋滞や無謀な割り込み、追い越し、過積載及び路上駐車等が当たり前で、交通ルールは無に等しい[48]

FAOによる1961年から2003年までのハイチの人口増加グラフ。

ハイチの平均人口密度は362人/km2であるが、首都ポルトープランスがある西県に極度に集中している。

公用語ハイチ語クレオール言語)とフランス語。フランス語系のクレオール言語であるハイチ語は1987年に公用語として認められた。ほとんどのハイチ人はハイチ語を日常的に使うが、公的機関やビジネス、教育では標準フランス語が使用される。

ハイチの治安は2025年現在、悪化の一途を辿っている。

2010年1月の震災後、ハイチ国家警察(fr:Police nationale (Haïti) PNH)は治安維持の強化に重点を置き、スラム街を中心としたギャングなどに対する掃討作戦や取締りを行なっているものの、ギャングなどの反抗により警察官だけでなく一般市民も巻き添えになる事案が頻発している。発生する凶悪犯罪の中で特に注意を要する種別は強盗殺人誘拐であり、強盗については拳銃の使用率が極めて高く、外国人富裕層ばかりでなく、一般のハイチ人もターゲットとなっていて、最も危険性が高い。拳銃が高い使用率となっているが、2016年ハイチでの犯罪発生後に回収・追跡された銃のうち99%がアメリカ製であった。殺人は「貧富の差」による嫉妬、物を「盗った」「盗られた」といった諍いを端緒とする極めて短絡的な動機によるケースが多い[要出典]。誘拐については、2010年1月の震災以降、PNHの取組などにより発生件数自体は減少傾向にあったが、2020年は前年と比べ約2倍の発生件数となっており、また外国人を対象とした誘拐事件や、制服を着用して警察官を装う者による誘拐事件も発生していることから、引き続き注意が必要とされている[52]

2021年7月、モイーズ大統領が私邸で約20人の武装集団に襲撃され射殺された。実行グループの大半はコロンビア人の傭兵で、警護隊は介入しなかった。この事件について2024年2月、ハイチ司法当局はマルティーヌ大統領夫人や当時の暫定首相、警察長官を含む約50人を関与の疑いで起訴した[53]。当時夫人も負傷し、米フロリダ州マイアミで治療を受け、自身のツイッターでテロを痛烈に非難していた[54]

2022年10月、ギャング団による犯罪が横行するなど治安が極度に悪化しているとして、日本の外務省は全土の危険情報を「レベル3」(渡航中止勧告)から最高度の「レベル4」(退避勧告)に引き上げた[55]

2024年2月時点で、首都の8割を武装ギャングが支配する無政府状態である。さらにギャングの襲撃で刑務所から受刑者約4千人が脱走するなど、混乱が拡大している[56]。有力なギャング連合を率いる「バーベキュー」こと元警察官のジミー・シェリジエは、ケニアを訪れていたアンリ大統領が帰国すれば殺害すると脅していた。同年3月、アンリがケニアで辞任を表明し無政府状態となる。これを受け、国連の多国籍部隊を率いる予定だったケニアも、1000人規模の治安維持部隊の派遣を延期すると表明した[57]

国連世界食糧計画(WFP)は2024年3月12日、ハイチでは140万人が「飢餓の一歩手前」の極限状態に置かれていると警告した。港湾や道路がギャングにより封鎖され、食料の持ち込みも制限されているとしている。

2024年12月には、ポルトープランスのスラム街で、ギャングのリーダーが「自身の子供が重病になったのはブードゥー教の呪術の所為だ」と吹聴し、同月9日までに高齢者127人を含む、少なくとも184人の住民を殺害する事件も発生し、国連人権高等弁務官は同年にハイチで殺害された犠牲者はこれで5000人になったと指摘するなど、極めて治安状況が悪化している[58]

治安部隊によるギャングへのドローン攻撃が行われている。国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)が10日に発表した報告書によると、2025年3月から26年1月21日までのおよそ11カ月でドローン攻撃は141回に上り、1243人が死亡した。25年12月以降に急増したと指摘する。犠牲者には巻き添えになった子ども17人も含まれているという。国連ハイチ統合事務所によると、現地でドローンの運用支援をしているのは米国の民間事業者、ベクタス・グローバルである[59]

首都ポルトープランスなどで爆発物を搭載したドローンが車両や人々を繰り返し攻撃している。死亡した子どもの多くは遊んでいたり、保護者に付き添っていたりしていた。民間人の巻き添えもいとわずに攻撃した例だけでなく、意図のみえない殺害も横行しているとみられている[59]

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独立後のハイチでは、フランスの文化に一体化しようとする都市のムラート層と、アフリカやインディオのクレオール的な文化を持った農村の黒人層の文化が相対立しており、エリートのムラート層は農村のアフリカ的文化に価値を見出さなかった。しかし、1920年代のアメリカ軍政期に、占領に対する抵抗のためにナショナリズムが称揚される動きの中で、特に詩人ジャン・プライス=マルスによってアフリカ的な民衆文化の再評価がなされ、やがてこの運動はアフリカ的文化を見直すノワリズム(黒人主義)に繋がり、1930年代から1940年代のマルチニークエメ・セゼールセネガルレオポルド・セダール・サンゴールらによるネグリチュード運動の源流の一つともなった。

19世紀末から20世紀初頭にかけて一群の知識人達が国民小説と呼ばれる文学を創始した。「国民小説」は、フランス文化を身に付けたハイチ知識人によって担われたため、フランス文化的な背景を持たない農村部の住民の文化とは隔絶していたが、人種主義が猛威を奮っていた時代において、黒人知識人によって担われる文学はそれだけで人種主義への抵抗や、国威発揚を果たした[60]。その後アメリカ軍占領期に『おじさんはこう語った』(1929年)を著したジャン・プライス=マルスフランス語版によってアフリカ的なハイチ農村文化とヴードゥー教の価値の再評価がなされた。『おじさんはこう語った』はフランス文化を自らの文化としていたハイチの知識人に深刻な衝撃を与え[60]、まもなく『朝露の統治者たち』(1940年)のジャック・ルーマンや、『奏でる木々』(1957年)のジャック=ステファン・アレクシスによって、アンディジェニスム(原住民主義)に基づいた「農民小説」と呼ばれる潮流が生まれた[60]

その後、デュヴァリエ政権がノワリスム(黒人主義)を黒人至上主義の人種主義に換骨奪胎してしまい、独裁政権のイデオロギー的背景としてしまったことはハイチの知識人に大きな挫折をもたらした[60]。以降ハイチ文学は亡命者や国外居住者によって担われるものが主流となり、現代ハイチ文学の特に著名な作家としてはフランケチエンヌエミール・オリヴィエエドウィージ・ダンティカなどの名が特に挙げられる。

ヴードゥーのドラポー(フランス語で旗の意味)。ジョージ・ヴァルリスによるもの。

ハイチの芸術絵画に特化した面を持ち合わせている。アンドレ・マルローがハイチ絵画を絶賛したように、20世紀においてハイチの絵画は、第一次世界大戦でヨーロッパが没落した後の、新たに創造的な美術であるとみなされてきた。絵画のジャンルにはハイチの日常生活を描くもの(生活描写派)、ヴードゥー教の儀式を描くもの(ヴードゥー派)、ハイチの歴史を描くもの(歴史画派)などが存在し、独特の色遣いと表現形式により、ハイチ絵画は世界的に高い評価を受けている。

1943年にハイチを訪れたアメリカ合衆国出身のデウィット・ピータースは、英語教育の傍らハイチ美術の支援に努め、ハイチにサントル・ダール(アート・センター)を設立した。ピータースとサントル・ダールの活動により、それまで注意を払われなかったハイチの美術に焦点が当たり、ペティオン・サヴァンエクトール・イッポリトフィロメ・オバンリゴー・ブノワカステラ・バジルなど、ハイチの名だたる画家たちの個展が国外で開かれるようになり、ハイチ美術全体の活性化に大きく寄与することとなった。サントル・ダール周辺で活躍した人々はヘイシャン・アートの第一世代を築いた。

2014年3月に開催されたカーニバルの様子。
ジャクメル(Jacmel)にて撮影

ハイチではカーニバルが毎年開催されている。

日付日本語表記フランス語表記備考
1月1日独立記念日Jour de l'indépendance
1月2日Jour des Aïeux
2月7日Investiture du Président élu
5月1日メーデーJour de l'Agriculture et du Travail
5月18日Fête du Drapeau et de l'Université
6月27日Notre Dame du Perpétuel Secours, patronne d'Haïti
8月15日聖母被昇天祭Notre Dame de l'Assomption
10月17日ジャン=ジャック・デサリーヌ記念日Mémoire de Jean-Jacques Dessalines, père de la Nation
11月1日諸聖人の日Tous les Saints
11月2日死者の日 Commémoration des Fidèles défunts
12月25日クリスマスNativité de Jésus-Christ
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